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宇宙ライター林公代の視点 (22) : 物理実験から宇宙へ 宮崎聡さん

2017年3月15日 (ハワイ現地時間)
最終更新日:2023年9月21日

「まるで手品」- 衝撃を受けたハワイ大学の2年間

実験屋あがりの天文学者として、圧倒的な広視野と高解像度を誇る超広視野カメラ HSC (ハイパーシュプリーム・カム) 開発を成功に導いた宮崎聡さんには「すべての出発点だった」という時期があった。1995年、宮崎さんは (広視野カメラの要となる)「CCD センサの修行にハワイ大学天文学研究所に行ってこい」と送り出された。その後の幸運な出会いがなければ、すばる望遠鏡が誇る HSC は実現していなかったかもしれない。

宇宙ライター林公代の視点 (22) : 物理実験から宇宙へ 宮崎聡さん 図

図1: Hyper Suprime-Cam がとらえたアンドロメダ銀河の全貌。これほど広い視野で1つ1つの星を分解できるほどの性能のカメラを作ろうとするのは、大きな挑戦だった。カメラの性能を十分に見るためには、宮崎さんの身長ほどのポスターで、ようやくその性能を感じ取ることができる。

ハワイ大学では CCD センサの開発から性能評価テスト、望遠鏡用カメラ製作を手伝い、マウナケア山頂の望遠鏡に搭載し観測、データ解析までの一連の作業に関わった。当時、すばる望遠鏡は建設中だったし、日本では CCD センサは大企業が作るものであり、望遠鏡用の数十個単位の発注を引き受けてくれるとも思えなかった。一方、ハワイ大学のルピーノ教授は天文用 CCD カメラ開発の先駆けの一人として、精力的にプロジェクトを進めていた。

さらに宮崎さんにとって衝撃だったのは、ハワイ大学にひょっこり現れた物理学者ニック・カイザー氏が、撮れたばかりのデータをコンピュータで解析し「ほら」と見せてくれた画像だ。画像には重力レンズ効果を使うことで、見えない物質ダークマターの分布が示されていた。「まるで手品みたい」と驚いた。日本は大気の状態が悪いし、大望遠鏡もない。マウナケア山頂で CCD センサを使って広視野カメラを作ると、こんなことができるのか。日本では誰もやっている人はいないし、こんな研究があること自体知らなかった。「これは面白い!」と自分の進むべき道が見えた。「最先端ってこういうことをいうのか」と痛感した。


プロポーザルが通らない - 悔しさをばねに「作るしかない」

高校生として名古屋にいた時に、物理の授業で実験を通して物事を理解することの面白さに目覚め、「実験屋になろう」と決意した宮崎さんは、東京大学大学院で天体物理学を専攻。電波銀河を硬X線で観測する装置を作って気球で打ち上げ、データをとり博士論文を書いた。卒業後は、すばる望遠鏡の開発グループから声がかかり天文台に来たものの、正直言って、何をやるのかわからず、「装置作りの人になるのかな」と漠然と思っていた。実験屋の自分には、(星が) 何等級と言われても全然わからず、最初の頃は天文学者とあまり話が合わなかった。

それが、ハワイ大学で CCD センサ開発から観測、解析まで、刺激的な現場を目の当たりにして、「これしかない」と腹をくくる。その後はすばる望遠鏡の主焦点カメラ、シュプリーム・カム開発チームで、カメラ開発に貢献する。

そんな宮崎さんが HSC 開発を目指した原動力は「悔しさ」だった。主焦点カメラでダークマター分布を調べようとプロポーザル (観測提案) を何度出しても落とされる。「意義は認めるが、観測しても今までわかっていることに少し知識を加えるにすぎず、インパクトがない」というのがその理由だった。「これ以上プロポーザルを出し続けるより、観測できる領域を広げるしかない。装置作りから始めないとダメだと頭を切り替えた。」(宮崎さん)


首が飛ぶかと悩んだ時期も

HSC の開発が主焦点カメラの開発と大きく異なったのは、性能が格段にアップしたことはもちろん、前回は企業に依頼していた観測装置開発のとりまとめを国立天文台が担うことになった点だ。それは天文台が最終性能まで責任をもつことを意味し、開発リーダーの宮崎さんには重圧がのしかかることになった。

手本も教科書もない、限界への挑戦。開発は何度も難題にぶち当たった。CCD センサ開発から検査、真空冷却装置への搭載は最難関だったが、望遠鏡に HSC を搭載後の試験観測中にも「首が飛ぶか」と思い悩んだ日々があった。2012年8月のエンジニアリング・ファーストライト。調整中の段階ではあるものの、実は計算に合わないほど像が悪かった。あらゆる原因を考える中で恐れたのは、もしレンズの取り付け方が原因だったらということ。そうであれば、解体して製作のやり直しになってしまう・・。最悪の事態も想定したが、結局望遠鏡の姿勢制御が原因とわかり、スイッチ一つで問題は解決した。

HSC で「思い描いた絵が撮れた!と思った瞬間は?」と聞くと、意外なことにアンドロメダ銀河などの美しい天体画像でなく、結像性能を示す画面が最高性能の真っ青に染まったとき (画像) だったそう。「これが出ればあとは何を撮っても大丈夫。やっと観測が開始できる。首にならずにすむ!と思いました。」よほどのプレッシャーだったのだろう。


海外の物づくり天文学者にあこがれて

HSC のように装置が複雑化・巨大化し、プロジェクトの予算も莫大になるにつれ、 一研究者がモノづくりに参加するのが難しくなっている。しかし米国の大学では小型ながら最先端のプロジェクトがあり、研究者がモノづくりに携わっている。「学問が一流の先生は、モノづくりのセンスや技術も一流であることが多く、とても感動する」と宮崎さんは言う。

目標とする先生の一人が米国プリンストン大学のジム・ガン氏。米国のスローン・デジタル・サーベイ望遠鏡のカメラを作った天文学者だ。「彼の名を関した理論もあり、光学の世界で彼の名を知らない人がいないほど超一流の研究者ですが、地に足がついていて回路も真空容器も設計する。HSC は途中からプリンストン大学が参加しましたが、『本当に HSC はできるのか?』と彼が僕らのところに視察に送り込まれてきた (笑)。でもすぐ仲良くなって、色々アドバイスをもらいました。」

日本で研究に行き詰まったり思い悩んだりすると、宮崎さんはハワイに飛んで、こうした尊敬するモノづくり天文学者と会い、原点に立ち返り元気をもらうのだという。

趣味はドライブと写真撮影。ハワイ島にいたころは、オープンカーのミアータ (日本ではロードスター) に乗っていた。ホノルルまでわざわざ買いに行ったほどの車好きだ。東京暮らしの今は、もっぱら鉄道の写真を撮りに行く「撮り鉄」。高校時代は写真部だったが、まさかカメラを自分で作るようになるとは想像していなかったという。自ら開発した世界最高性能のデジカメで今、人類最大の謎「ダークエネルギー」解明に取り組んでいる。

宇宙ライター林公代の視点 (22) : 物理実験から宇宙へ 宮崎聡さん 図2

図2: 宮崎さんの研究対象は弱い重力レンズ現象を利用して広い領域の暗黒物質分布を調べ上げること。画像の中には、他にもいろいろな面白い天体が見出せる。宇宙探索の楽しみは尽きない。

(レポート:林公代)

林公代 (はやし きみよ)

福井県生まれ。神戸大学文学部卒業。日本宇宙少年団情報誌編集長を経てフリーライターに。25 年以上にわたり宇宙関係者へのインタビュー、世界のロケット打ち上げ、宇宙関連施設を取材・執筆。著書に「宇宙遺産 138 億年の超絶景」(河出書房新社)、「宇宙へ『出張』してきます」(古川聡飛行士らと共著 毎日新聞社/第 59 回青少年読書感想文全国コンクール課題図書) 等多数。

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