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宇宙ライター林公代の視点 (14) : 銀河流おもてなし 有本信雄さん

2016年10月5日 (ハワイ現地時間)

世界に開く、地元に飛び込む

  国立天文台ハワイ観測所に有本信雄所長を訪ねた日は、数日後に予定されたすばる望遠鏡での「M81 銀河考古学」観測に備え、研究チームが集まる日だった。メンバーは上海やエジンバラからやってくる国際チーム。1980年代、有本所長がフランスを皮切りにドイツ、イギリスと約 10 年にわたるヨーロッパ研究生活で培った人脈が今も生きている。「色々な国の文化を知り、各国の研究者とネットワークができました。当時の友人達が今では世界の天文台や大学のトップ。協力しやすくて助かっています。」(有本さん)

  このように国際派天文学者である有本さんがハワイ観測所所長になったのは、2012年4月。海外の研究者をより積極的に受け入れ、すばる望遠鏡をさらに世界の研究者と共同で使う望遠鏡にしていこうと、ハワイ観測所も望遠鏡も「オープンに」する動きを活発化させる。

  その対象は世界だけではない。地元に対しても同様だ。「すばる望遠鏡はマウナケアの山頂に置かせてもらい、観測させて頂いています。マウナケアには大きな望遠鏡が何台もありますが、忘れてはいけないのはマウナケアがハワイの方々にとって聖なる山だということ。ハワイの伝統文化を常に大事に考えながら、観測しないといけない。」


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図1: 有本信雄さん 近影



まずは意見を聞く。「よろしくお願いします」というメッセージを伝える

  もちろん、国立天文台はすばる望遠鏡建設時からマウナケアにある他の天文台と協力しながら、地元の方々との協力や普及・教育事業に力を入れてきた。それらに加えて、有本さんは職員が「地元の文化を学ぶ」活動をハワイ観測所で新たに始めた。

  名付けて「すばるマカリイセミナー」(マカリイはハワイ語ですばる (プレアデス星団) を指す)。ハワイの言語、歴史、伝説、伝統航海術、さらに次世代大型望遠鏡 TMT 反対派リーダーも講師に招く。ハワイ観測所の大会議室で開き、職員やその家族、ハワイ大学や他の望遠鏡で働く人達も参加できる。「論争する場ではなく私たちがハワイ文化を学ぶ場です。TMT 反対派の方の考え方もきちんと伺います。」有本さんは TMT に反対する方の話を聞きに自ら出向き、その話に耳を傾けるべきだと判断してこのたび講師として招請した。「所長が自分から出かけて相手の話を聞くなんて、なかなかできることではない」と関係者は驚く。

  また7月7日には、ハワイ観測所の庭で地元日系人の方たちと「七夕フェスト」を開く。流しそうめんを共に食べるなどして、地域の住民たちと職員が付き合いやすいよう「種」を仕込む。なぜそこまでやるのか?「私たちは日本から来た新しい移民のようなもの。現地の人たちはすばる望遠鏡で働く人々をある種の日本の代表と見ている。私たちからも『よろしくお願いします』というメッセージを常に出さないといけない。お高くとまっていてはダメなんです。」


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図2: ハワイ州知事 デービッド・イゲさんが国立天文台ハワイ観測所を訪問。「いつもお世話になっております」と有本所長。すばる望遠鏡マスコットのスービーとともにスリーショット。(クレジット:国立天文台)



イタリアのシシリー島での発表が高く評価、一気に名を知られる

  誰に対しても心の垣根を払う有本所長のフラットさは、どのように育まれたのか。新潟生まれの有本さんが宇宙に興味を持ったのは小学5年生の頃。「魚やキノコ採り、栗拾いの上手なお兄さんが近所にいて、くっついて歩いていました。ある日、お兄さんが小さな望遠鏡を持ってきて『ちょっと覗いてみな』と言ってくれたのです。」望遠鏡をのぞくと、上弦の月に綺麗なクレーターが見えた。それ以来、星の世界に病み付きになっていく。その一方、高校生のとき天文学は社会の役に立たないのではないかと悩み、気象大学校を受験する。結果は不合格。東北大に進学し「(気象予報士は) 諦めて天文学者になりました (笑)。」

  大学院までは星の進化を学び、海洋学から気象学までありとあらゆる論文を読みこみ、基礎を徹底的に学んだ。1984年10月から、後に国立天文台長となる小平桂一教授 (当時) の紹介でフランスのパリ・ムードン天文台の研究員に。翌1985年3月にイタリア・シシリー島で開かれた国際学会で、吉井譲国立天文台助手 (当時) との共同研究である「楕円銀河の種族合成モデル」を発表する。星の化学進化の影響まで取り入れた新しいモデルは、世界から高い評価を受ける。各国から招待講演の依頼が届き、「ノブオ アリモト」という名前が世界に知れ渡った。周囲の見る目が一変したのを実感した。

  「初の国際学会で初めての英語の発表でした。それまで自分の研究が本当に世界トップレベルかどうかわからなかったけれど、ちゃんと準備すれば評価される。天文学者になってよかったと実感した瞬間であり、10 歳の時に望遠鏡を見せてくれたお兄さんに『ありがとう』と心の底から感謝しました。」小学生の教育に熱心なのは、自らの実体験があるからだ。

  初の国際学会での発表が高評価を受けたと聞けば、語学堪能だろうと想像するが、実は真逆だった。フランス語が話せず、勉強もしなかった。渡仏後も英語で通していたが約半年後、ムードン天文台の初老の研究者に「なぜ半年もいるのにフランス語を話さない!」と叱咤激励される。翌日から猛勉強しフランス語をマスターすると、コミュニケーションが一気に広がった。


トップが変わるとカラーが変わる―所長室の色はオレンジ!

  ハワイ観測所の所長になってから、研究に割く時間は 10 パーセントに満たない。だがチームで研究を進め、時折マウナケア山頂に登り、すばる望遠鏡で観測もする。「銀河考古学」では世界をリードする存在だし、ライフワークの「楕円銀河」についてはどうやってできたかを明らかにしたいと情熱を燃やす。

  所長業務では、すばる望遠鏡を日本の望遠鏡から、より多くの国が共同で使う望遠鏡にするという使命を負う。その背景には国内の予算削減という厳しい状況がある。東アジアやオセアニア諸国などと一緒にこれから数十年間、すばる望遠鏡が長く第一線で成果をあげ続けられるように。「自分が所長でいる間に、その基礎を築きたい。」(有本さん)

  ところで有本さんのモットーは「職場をどんどんうつること。」なぜ?と聞くと「毎日会う人が一緒だとサイエンスができなくなる。アイデアが浮かばないでしょ」と笑う。科学者として常に変化を求め、固定観念にとらわれない。その象徴が所長室の壁の色。なんとオレンジ色 (図1)。所長室に入ると、明るい色調にうきうきする。「以前はグレーでしたが壁紙を貼り替えました。ハワイ中で評判ですよ」と楽しそう。トップが変わるとカラーが変わると言われるが、文字通りカラーを変えた。これからのすばる望遠鏡の進化が、楽しみだ。


(レポート:林公代)



林公代 (はやし きみよ)


  福井県生まれ。神戸大学文学部卒業。日本宇宙少年団情報誌編集長を経てフリーライターに。25 年以上にわたり宇宙関係者へのインタビュー、世界のロケット打ち上げ、宇宙関連施設を取材・執筆。著書に「宇宙遺産 138 億年の超絶景」(河出書房新社)、「宇宙へ『出張』してきます」(古川聡飛行士らと共著 毎日新聞社/第 59 回青少年読書感想文全国コンクール課題図書) 等多数。

ウェブサイト:http://gravity-zero.jimdo.com





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