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宇宙ライター林公代の視点 (3) : 系外惑星探査のパイオニア 田村元秀さん

2016年7月12日 (ハワイ現地時間)

「夜空のコンサート」で観測に没頭 ― 天文学に目覚める

  2004年、責任者となって開発したコロナグラフ撮像装置 CIAO で、恒星の周りの円盤の詳細な構造が見えてきたとき、田村元秀さんは「ハッブル宇宙望遠鏡を超えた!」と思ったという。

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図1: 田村元秀さん 近影

  「ハッブル宇宙望遠鏡は、ずっと夢でした。望遠鏡を宇宙にあげられること自体が不思議だし、打ち上げ後に故障していたものを修理したのですが、とんでもないことをやっているわけですよね。日本は一体いつになったらそんなことを出来るんだろうと思うようなことをずっとやってきた。そのハッブルの観測データをようやく超えた。嬉しかったですね」と当時の興奮を語る。

  しかし、田村さんが宇宙の研究を始めたときは系外惑星や円盤が天文学の重要なテーマになるとは「夢にも思っていなかった。」そもそも、田村さんは大学の卒業研究のテーマは素粒子だった。物理学への漠然とした憧れがあり京都大学理学部物理学科に進学。しかし当時、素粒子実験は既に大型化しつつあり、自分のスタイルとは違うと思ったそうだ。

  一方、「天文学は色々なテーマが転がっている」と感じ大学院で物理学第二教室に進学、赤外線天文学を専攻する。紀元前から続く天文学の歴史の中でも「王道」の可視光でなく、赤外線の天文学は新しく未知のことにチャレンジする面白さがある。「見えない世界が見えてくる魅力を感じたのです」(田村さん)

  大学院時代は長野県木曽郡上松町にあった、口径1メートルの望遠鏡で観測に没頭した。研究室が所有する望遠鏡だから、観測も運用も生活自体も自分たちでやらないといけない。1~2週間、自炊しながら観測。冬の間は雪で埋もれることもあるし、一人で観測することもあり、半ばサバイバル。しかし「たった一人、寒いドームの中で大音響で色々な音楽を聞きながら真っ暗な中で宇宙に向かい合う。そんな中から、わくわくするようなデータが集まってくる。その時間が非常にいいんです。」こうして天文学の面白さに目覚めていった。


アメリカで赤外線観測の革命期に立ち会う

  大学院卒業後の1988年は、日本ではまだ赤外線天文学がどう進むのか読めない時代だった。今すぐ観測したいと渡米しアメリカ・アリゾナ州のキットピーク国立光学天文台へ。1.3 メートル望遠鏡で当時開発されたばかりの赤外線カメラで観測を始める。

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図2: キットピーク国立光学天文台時代

  「日本では1素子の赤外線検出器しかなかったので空間の一点しか見えませんでした。天体を観測するためには望遠鏡を動かして、1点1点データを取りマップを作っていく必要があり、ものすごく時間がかかる。気が遠くなるような観測です (笑)。ところがキットピーク天文台では 58 × 62 素子の検出器が導入され、ぼくらのような研究員でも自由に使うことができました。人間の眼には見えない光 (赤外線) で天体の姿が二次元でそのまま写しだされたのです。」

  その後は NASA ジェット推進研究所にうつり、赤外線宇宙望遠鏡スピッツァ―の中心人物の下で研究。「スピッツァ―望遠鏡はアメリカの赤外線ミッションでもっとも成功したプロジェクトになりましたが、そのグループで研究できたことが大きな財産になりました。ぜひ日本で系外惑星や惑星形成の研究をしたいと1992年に帰国したのです。」


新しい技術でサイエンスが広がる

  帰国した頃は、すばる望遠鏡の建設段階だった。すばるの責任者だった海部宣男さんが CIAO の構想を立ち上げ、最先端の赤外線観測の経験をもつ田村さんに計画の代表になってほしいと依頼。「アメリカでやったことが日本でできそう。ぜひやりたい」と引き受けた田村さんだったが、当時は系外惑星がまだ発見されていない時代だ。

  恒星の周りの軽い天体をターゲットにし、系外惑星にも使える可能性を考慮して装置開発をスタートした。8メートル級の大望遠鏡にいち早く、コロナグラフ装置を開発していたことが、その後のすばるによる系外惑星直接撮像の快進撃につながったことは解説記事の通り。


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図3: すばる望遠鏡に搭載し、様々な試験を行っていた CIAO は2000年2月にファーストライトを迎えた。


  田村さんは、「天文学では装置開発と、装置を使ってサイエンスをやる、その両方のバランスが大事」という信念を持っている。一つの新しい技術で広がるサイエンスがある。たとえば HiCIAO ではさまざまな「高コントラスト観測技術」を実現したことで世界一番乗りが実現した。

  それはアメリカで赤外線カメラが立ち上がった時期を目の当たりにした経験がベースとなっている。「予想しなかったものが見えるのが新しい装置を作る醍醐味。それを長すぎない適切なサイクルで続けていれば、世界の最先端を走り続けることができる。物づくりって一つの部品を発注するのも、ものすごく手間なんですけどね (笑)。」


世界初のアストロバイオロジーセンター

  「系外惑星は今や天文学で大きな分野になりました」と田村さんは胸をはる。その一方で危惧しているのは「専門の領域に分化しすぎると新しい分野の面白みがなくなる」こと。やはり学問として広がりがなくては。そのためにも、あらゆる学問と連携して生命がいる惑星に迫りたい。田村さんは2015年4月に設立された「アストロバイオロジーセンター」のセンター長に就任した。天文学だけでなく、生物学など様々な分野と融合し、系外惑星における系外生命を目指すことを中心に据えた組織は世界初だという。

  音楽を聞きながら夜空に向かって一人で観測し、宇宙に向き合う時間はなくなってしまったけれど、「あの星に生命がいる」と言えるその日をめざし、「日本全体のアストロバイオロジーを盛り上げていきたい」と語る。穏やかな語り口、人柄で知られるが、その内側には負けず嫌いであり、道なき道を自ら切り拓いてく不屈の精神が宿っている。


(レポート:林公代)



林公代 (はやし きみよ)


  福井県生まれ。神戸大学文学部卒業。日本宇宙少年団情報誌編集長を経てフリーライターに。25 年以上にわたり宇宙関係者へのインタビュー、世界のロケット打ち上げ、宇宙関連施設を取材・執筆。著書に「宇宙遺産 138 億年の超絶景」(河出書房新社)、「宇宙へ『出張』してきます」(古川聡飛行士らと共著 毎日新聞社/第 59 回青少年読書感想文全国コンクール課題図書) 等多数。

ウェブサイト:http://gravity-zero.jimdo.com





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