観測成果

300 年の時を経て明かされた超新星の正体 ? 超新星残骸カシオペヤ A の可視光の「こだま」を解読~

2008年5月29日

 [概要]
 過去に何が起きたのかを知るために、タイムマシンで時間を戻したいと思ったことはありませんか。天文学者もまったく同様です。彼らは日夜、何光年ものかなたから届く光を観測していますが、それでも現在地球に届く光しか見ることはできません。今回は、天文学者が時間を遡り、300 年前の地球に届いた光をもう一度受信した、という成果を報告します。ただしタイムマシンではなく、光の「こだま」を使って。

 現在カシオペヤ A という名前で知られている電波源は、我々の銀河系の中でもっとも若い超新星残骸のひとつとして知られています (注 1 ) 。カシオペヤ A は、非常によく研究されている天体のひとつですが、世界各国の歴史的な文献に爆発時の記録がほとんど残っていないため、その生い立ちは依然深い謎に包まれています。カシオペヤ A のもとになった超新星爆発は、現在の膨張速度から逆算して 1680 年頃に起きたとされていますが、17 世紀当時の人々にはなぜか目撃されていません。

 マックスプランク天文学研究所、国立天文台、アリゾナ大学スチュワード観測所の研究者からなるグループは、すばる望遠鏡の微光天体分光撮像装置 ( FOCAS ) を使って、カシオペヤ A が爆発時に放射した可視光の「こだま」を分光観測することに成功しました。その結果、この超新星爆発を起こした星は赤色超巨星であり、IIb 型と呼ばれる種類の超新星爆発 (注 2 ) の結果カシオペヤ A となった事実が明らかになりました。この種類の超新星爆発は比較的短期間で暗くなる特徴があり、これが 17 世紀当時に観測記録が存在しない理由のひとつではないかと推測されます。

[超新星残骸カシオペヤ A の謎]
我々の銀河系で過去 1000 年以内に爆発した超新星としては、SN1054、SN1572、SN1604 などがよく知られています。これらの超新星残骸はそれぞれ、かに星雲、ティコ、ケプラーという名前で今日呼ばれており、いずれも爆発時に肉眼で観測可能であったことから、超新星がどのくらいの期間、どのくらいの明るさで輝いていたのか、藤原定家の日記『明月記』、天文学者ティコ・ブラーエやヨハネス・ケプラーの記録などの歴史的文献に詳しい記述が残されています。一方、銀河系の中で起きたもっとも新しい超新星爆発のひとつである超新星残骸カシオペヤ A については、世界各国の文献にはほとんど記述が残っていません。そのため、正確な年齢も、どのような種類の超新星爆発だったのかも、闇に包まれたままです。超新星残骸の膨張速度から逆算して、実際の爆発は 1680 年頃に起きたと推定されていますが、ではなぜ地球から 11,000 光年という近傍での大爆発が 17 世紀当時の人々に目撃されなかったのかは、これまで謎とされてきました。

[なぜ、光の「こだま」を探すのか?]
2005 年、スチュワード観測所のオリバー・クラオゼ研究員 (現マックスプランク天文学研究所研究員) は、スピッツァー宇宙望遠鏡を使った観測によって、カシオペヤ A の周辺では赤外線放射領域が高速で外側へと移動しつつあることを発見しました。詳しい解析の結果、これはカシオペヤ A を形成した超新星爆発によって放射された紫外線や可視光が、周囲の塵をつぎつぎに暖めながら徐々に周縁部へ伝搬していく現象であることが分かりました (図 1 )。これが赤外線でおこる光の「こだま」です。光の「こだま」は、音のこだまと同様に、光源から離れた場所にある物質によって反射・再放射された光の波が、遅れて観測者に届く現象です。すなわち、カシオペヤ A からの光の「こだま」は 300 年遅れて現在の地球に届いた、爆発当時の光なのです。この 300 年前の光にこそ、カシオペヤ A 誕生の謎を解くてがかりが秘められていることは言うまでもありません。

[すばる望遠鏡を使って解かれた謎]
2006 年に、国立天文台ハワイ観測所の臼田知史准教授と服部尭研究員は、マックスプランク天文学研究所のクラオゼ研究員、シュテファン・ビルクマン研究員、後藤美和研究員ら (注 3 ) と共同で、可視光の「こだま」を探しあて、分光観測するプロジェクトを開始しました。問題は、カシオペヤ A のまわりの星間物質の分布は非常に複雑なため実際に光の「こだま」が届くまで、いつ?、どこで?、どんな?「こだま」が発生するのか我々には予想がつかないことです。その上、可視光の「こだま」の大半はきわめて暗く、充分な分光観測をおこなうことができません。おまけに、「こだま」は発生してから数週間で消滅してしまいます。かれらが必要としていたのは、特別に明るい「こだま」、そして強力な望遠鏡でした。

 いつどこで発生するか分からない「こだま」を待ち続けること 1 年余り、スピッツァー宇宙望遠鏡による赤外線での定期観測 (図 2 ),マックスプランク天文学研究所の持つスペイン Calar Alto 2.2m 望遠鏡を使った可視光での広視野モニタリング (図 3 ) を経て、「分光可能かも知れない「こだま」を確認」の朗報がすばる望遠鏡に届いたのは、2007 年秋のことでした。

 2007 年 10 月 9 日、すばる望遠鏡と FOCAS は、当該空域に「こだま」の候補を確認すると (図 4 ),ただちに分光観測に移りました。この淡いこだまは当初の予想よりも 2 等級以上暗く ( 23.5 等級),まさに口径 8 mを超えるすばる望遠鏡の集光力が必要とされるところでした。5 時間を超える露出時間の末、得られたスペクトルには、超新星特有のスペクトル線がはっきりと現れていました。この淡い光は、確かに、300 年前に地球に到達した超新星爆発の光の「こだま」であったのです。

 過去に起こった数々の超新星の観測結果と比較した結果、この光の「こだま」は、SN1993J (注 4 ) という超新星のスペクトルときわめて良く似ていることが分かりました (図 5 )。これは、カシオペヤ A のもととなった星が、SN1993J と同様、太陽質量の 10 倍をこえる赤色超巨星であったことを意味し、その生涯の最後に IIb 型の超新星爆発を起こしてカシオペヤ A を形成したことの動かぬ証拠となります。カシオペヤ A が超新星残骸と認定されてから 20 年余り、その生い立ちについては数々の長く激しい論争がありましたが、それもようやくここで終止符が打たれることになりました。

 それでは、なぜ 17 世紀当初、この超新星は日本や中国、ヨーロッパなどの国々で観測されなかったのでしょうか? IIb 型の超新星爆発は比較的短期間で暗くなる特徴があります。極大期に重なったほんの数日の悪天候、それだけでこの若い超新星を歴史の網から取り逃がすには充分であった、と当時の様子を想像することができます。

 カシオペヤ A を爆発当時に観測した「かもしれない」天文学者が一人だけいます。王室天文官、初代グリニッジ天文台台長であったジョン・フラムスティードです。彼は 1680 年、カシオペヤ A の方向に 6 等星を一つ観測しています。その後、この 6 等星は姿を消し、後世の天文学者によって星図から抹消されました。6 等星という比較的暗い等級、カシオペヤ A の前景にある塵による吸収、そして IIb 型の超新星爆発のすみやかな減光。カシオペヤ A の謎に、ようやく確かな答えが見つかったようです。

この研究論文は米国のサイエンス誌に掲載が予定されています。
The Cassiopeia A Supernova was of Type IIb, O. Krause, S. M. Birkmann, T. Usuda, T. Hattori, M. Goto, G. H. Rieke, and K. A. Misselt, Science 30 May 2008: Vol. 320. No. 5880, pp. 1195-1197.

リンク : NASA ジェット推進研究所 (英語)

注1: カシオペヤ A までの距離は約 11,000 光年あるので、爆発は約 11,000 年と 300 年余り前に起こったことになりますが、ここでは天体の光が地球に届いた時点を基準にとります。ごく最近 ( 2008 年 5 月),チャンドラ X 線天文台によって 140 年前に起きた超新星の残骸が発見されるまで、カシオペヤ A は銀河系でもっとも若い超新星残骸でした。

注2: IIb 型超新星爆発は、進化の進んだ大質量星の表面 (外層) が伴星によってはぎ取られた状態で重力崩壊型の超新星爆発を起こしたものと考えられています。外層が残ったまま爆発する場合に比べると短期間で暗くなります。

注3: 研究グループの構成
O. Krause (マックスプランク天文学研究所),S. M. Birkmann (マックスプランク天文学研究所),臼田知史 (国立天文台ハワイ観測所),服部尭 (国立天文台ハワイ観測所),後藤美和 (マックスプランク天文学研究所),G. H. Rieke (スチュワード観測所),K. A. Misselt (スチュワード観測所)

注4: 大ぐま座にある銀河 M81 で 1993 年に発見された超新星


図1: カシオペヤ A からの光の模式図。( A ):超新星爆発を起こした星は中性子星となり、強い可視の光を放射します。この光が 1680 年頃に地球に到達しました (青い矢印)。( B ):中性子星からの可視の光が、カシオペヤ A の周りにある塵に吸収されると、暖められた塵から赤外線が放射されます (赤い矢印)。この赤外線がスピッツァー宇宙望遠鏡で観測されました。一方、この塵によって反射された可視の光 (黄色の矢印) が、光の「こだま」として、遅れて現在地球に到着しました。 (図は NASA/JPL-Caltech/R. Hurt ( SSC ) )
http://ipac.jpl.nasa.gov/media_images/ssc2005-14d1.jpg による。)


図2: スピッツァー宇宙望遠鏡による波長 24 ミクロンの赤外線画像。2007年8月20日に光の「こだま」を探す道しるべが発見されました (図 C の中央四角)。

図3: スペイン Calar Alto 2.2m 望遠鏡 ( A と C ) とすばる望遠鏡 ( B ) で観測された可視光 R バンドの画像。図 B 中の黒い等高線は図 2 の C で見られる 24 ミクロンの赤外線の強さを表します。等高線の内部に見える淡い光が、カシオペヤ A からの可視の光の「こだま」と推測され、すばる望遠鏡で分光観測がおこなわれました。

図4: 2007年10月9日に、すばる望遠鏡と FOCAS で観測された超新星の光の「こだま」の画像。超新星残骸カシオペヤAは1度角以上離れたところにある。青は V バンド、緑は R バンド、赤は I バンドの画像。中心部に白く見える淡い光が、カシオペヤ A からの可視の光の「こだま」。

図5: 2007年10月9日に、すばる望遠鏡と FOCAS で分光観測された、可視光の「こだま」のスペクトル。下には比較のために使われた SN1993J のスペクトルを載せています。この 2 つのスペクトルがきわめて良く一致していることから、カシオペヤ A は SN1993J と同じタイプの超新星であったことが分かります。

参考図: 超新星残骸カシオペヤ A のカラー合成図。青はチャンドラ X 線天文台による X 線、緑はハッブル宇宙望遠鏡による可視光線、赤はスピッツァー宇宙望遠鏡による赤外線の画像。

 

 

 

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